そして、残ったもの

新世紀エヴァンゲリオン


テレビ東京系列で、1995年秋から半年間放映されたアニメです。
たちまちのうちに日本中をその渦の中に巻き込み、 LDは前代未聞の16万枚を毎月売りきり、 サウンドトラックのCDはオリコンでトップをとり、 もはや「現象」である、とまで言わしめる結果となりました。

初版LDに関しては、全国でやはり前代未聞の8万枚が出荷されましたが、 習慣となっている発売前日のフライング発売において、秋葉原の大手家電店、 石丸電気は開店後たったの1時間で予約分以外を完売。
私は発売当日、秋葉原、池袋、さらに電話によって 名古屋、静岡、仙台に手を回したものの、ことごとく売り切れの返事。
後日、初版は定価の2倍で中古販売店が引きとり、 それを定価の3倍以上で売るという恐ろしい光景が繰り広げられました。
そして、この「現象」は今も続いています。

この作品が今なお語られている理由の一つに、最終回があまりにとっぴ過ぎた、 ということがあります。
これまでのアニメーションで与えられてきたような最終回とは、 全く異なった終り方をしたのです。
これをめぐるファンの意見はさまざまでした。
既成概念を壊し、人の内的世界に迫った素晴らしいものだ、と称賛する者。
単なる作業の破綻が現れたに過ぎない、恥ずかしいものだ、と非難する者。
私は今では、こう思っています。
「あのエンディングを選択できるくらい、エヴァという世界は 懐が深いものだったんだ」と。

何のことを言っているかわからない人は、 まず本編を見ることをお勧めします。
1995年のオタク達が何を望んだのか。
何が語られ、何が語られなかったのか。
少なくとも、この時代を映す一つの「鏡」となる作品だったと、 私は思います。

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